結論「人生の意義」や「人生の意味」は自分の中にはない
人生の意味はあなたが感じるものではありません。他者の中に感じるものではないでしょうか?
養老先生のさかさま人間学 (ぞうさん出版) [ 養老孟司 ]
この言葉は養老孟司さんが話していました。
「人生に意義・意味は自分の中にはない」
どういうことでしょうか?
自分なりに考えていきます。
特に若い人は「自分」が大切だと思っていて、自分が死んだらそれで終わりじゃないかと。
「人生」に意味を見出そうとします。
「自分とは何か」
「自分探しの旅」
「自分に合った職業」
自分、自分と考えて行きそこに答えはでるのでしょうか?
自分が死んでも、自分は困らない
もし自分が会社に出勤する前に交通事故で亡くなったとしても、
自分は困りません。なぜなら、すでに天国にいますから。
困るのは同じ会社の人や、残された家族です。
逆に、家族が亡くなって困るの私です。
困る範囲は大体にして二人称です。(あなた、おまえの近しい範囲)
自分の意義や意味は、もしかしたら他人が決めることではないでしょうか?
「自分以外の人」と築いてきた関係などによってが意義になるのではないでしょうか?
自分の中にはなく、他の人の中にある。
【終わり】と考えられている死とは
なにをもって死と考えるか。
お医者さんが○時○分、お亡くなりになりました。と宣言された時が死んだときなのか。
養老孟司さんは、それは国が本人の死亡を確認するために「死亡診断書」が必要で、
死亡時刻を記載する必要があり宣告しているだけだといいます。
それに臓器なとは死亡宣告されてからも、まだ生きているといいます。
脳が死んだら(脳死)死亡でしょうか?
家族の方は亡くなった方を「死体」とは言わないようです。
死体というのは第三者(三人称)の人だといいます。
ニュースで流れてくる、殺人事件を聞く感覚でしょうか。
先ほどいいました。自分は死んだときには、
「あぁ、死んだんだと感じることもありません」、なので
死というのは自分ではなく、二人称(近しい人)に与えるものなのでは
ないでしょうか?
人生の意味とは
近しい人にどれだけいい影響を与えられるか、
関わる社会にどれだけ貢献できるかではないでしょうか?
周囲にいい影響を与える【私の場合】
嫁と娘が2人います。
娘が理想とする父親にもなれないし、ありあまる程たくさんのお金もないけど、
娘たちにとって毒にならない親でいたい。
娘達が好きなことを続けていけるようにサポートしてやりたい。
それが今、自分が生きる意味です。
娘たちが大きくなり、お父さんの意味がなくなったら
また新しく意味を考えたいと思います。
家族に迷惑を掛けないためにも、家でしっかり体調管理を行おう。
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人生に意味を考えない|別な考え方
養老先生のさかさま人間学 (ぞうさん出版) [ 養老孟司 ]
人生に意味を考えていると、その意味に反する行動をしたとき、
意味を達成できなかった時に、落ち込むことがあるし
常に意味に追われることになるので
「人生に意味はない」と考える人もいるようです。
いろんな考えがあります。
自分に合った考えを見つけられたら素敵だと思います。
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